about

神気界について

霊能者占い鑑定所 神気界<シンキカイ>は愛知県名古屋市にて、二代目霊能者である泉 皇導<イズミ コウドウ>が主宰する霊能者占い鑑定所です。1994年より先代の皇導から始まり2015年までは完全紹介制でしたが、二代目皇導が引き継いで以降はホームページを開設し、より広く、より多くの方からご相談をお受けする形式となりました。

愛知県名古屋市の霊能者占い鑑定所 神気界では、以下のような方法で占い・霊視や気功などの施術を行っています。

”全ての人の悩みを全て解決していく”という当霊能者占い鑑定所の理念に基づき、その全ての占い相談でこれ以上ない究極の成果を出していくことを目的としながら、初代がおよそ15,000件、二代目での皇導のみでも約15,000件以上のご相談実績を誇ります。

また、一度目のご相談で「全ての悩みを占い・除霊・気功・術によって解決すること」、また二度目以降の占い鑑定では、一度目の占い鑑定による「悩みがない状態」から、更にその先の「最上の未来へ導くこと」を目標としています。

未来を変えるため、愛知県名古屋市の霊能者占い鑑定所 神気界にぜひお越し下さい。 皆さまからのご依頼を、心よりお待ち申し上げております。

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霊能者占い鑑定所 神気界を説明するには

二代目である私の実の父、今は亡き初代の皇導<コウドウ>の事を説明しなければなりません。

初代皇導は臨死体験を二度経験し、以来周囲が身震いするほどに直感力が鋭い人物でありました。

1993年頃、秋田県にて教育関係の会社経営者であった初代のもとに、ある夜、目もくらむような光が降り立ったと言います。

その光は神を名乗り「あなたに力と、私の分身を授けます。これから人を救い導きなさい。」と話したと伝え聞いております。

そして1994年頃にメディアで気功師や霊能者の露出が増えた頃の事です。
初代の会社の若い女性社員が偏頭痛に苦しんでおり、それを何とかしてあげたいと思った初代はその女性の頭に手を当て気功の真似をしてみたところ、瞬時に頭痛が解消されたと言います。
それ以降、他の社員達の悩みを次々と癒すと、その話を聞きつけた社員の家族が初代のもとを訪れ、その方々をも癒やすと、次はその友人が、知人がと噂が広まり本業を圧迫するほどに気功の依頼が増え、広々とした事務所を半分に区切り、最後には神気界の前身である「ヒーリングアルファ」という組織ができ、その看板を掲げるまでに発展しました。

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その後、評判を聞き付けた
「ムー」という老舗スピリチュアル雑誌の方がプロのヒーラーを引き連れインタビューに来られ、その場で「全世界で三指に入る至高のヒーラーである」と評されたそうです。

その記事が紙面掲載されるやいなや、「ヒーリングアルファ」の前には連日営業時間前から長蛇の列ができ、更には地元情報誌でも連載を持ち、多忙な日々を送ったと聞いています。

その中でオーラや気のチャンネルを視覚的に見る事ができる「チャクラリーディング」とそのチューニングの専門家であるスピリチュアルカウンセラーの嶋田氏と、人の背中を集中して視ると臓器から病気までもが視覚的に詳細に見透せる「人間レントゲン」の異名を持つ塩谷氏と出会い、初代の力に惚れ込んだ両名と共に沢山の方々を次々と癒やしていき、件数を追うごとにより現代医学では対処不可能な根深い問題をも、独自の気功によって短期解決できるようになったと言います。

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しかしそこで初代は壁にぶつかります。
それは相談者の中に「気の通りにくい人」が一定数存在している事と、その原因や差が分からないという事でした。

「気が通りにくい」という事は対処するにしても効率が悪く、無理矢理にエネルギーを通すために初代の消耗が激しいとの事でした。

そして同時期に知り合いづてに四国に住む真言密教の高僧と出会い、相談をしたところ「霊的な影響、霊障によって気が通りにくいのだろう」という事と「運気や心身の悪い状態は霊障から生じる場合も多い」という事を教えられました。

初代はその高僧に「不動明王降神術(ふどうみょうおうおりがみのすべ)」という、人の身に密教の不動明王そのものを降ろし霊そのものを縛り付け降伏(ごうぶく)させ、仏力と自力を用いて無理矢理に成仏させるという強力な密教術を教えられ習得。

そして同時に、「大元帥明王降神術(たいげんみょうおうおりがみのすべ)」という、本来、対幽霊ではなく対「敵国」に対して用いられたとされる、霊的存在やその他の破壊と必勝祈祷に用いられる、現代においても完全に秘匿された究極の密教法を習得しました。 (この真言(密教の呪文)の全ては、インターネット検索でも出てきません。)

同時に対幽霊への霊視や霊感による占い相談も可能になり、それにより初代には気功師と霊能者を兼ねる形によりおおむね解決できない案件が無くなったと言います。

その頃からの先代は、霊能力者というよりも、いつしか全てを叶える「現人神」であるとして讃えられるようになりました。
また、周囲に実力のある神道系霊能者が増え、そのうち複数から「月讀命(ツクヨミノミコト)」という日本神話上の神の半身をその身に宿していると言われ、冒頭に書き記した神の正体と自らの力の根源を改めて知る事になったのです。

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1998年頃
初代が信奉する通称「拝むおばあちゃん」という、当時90歳近い霊能者より神託が下ります。

「天から与えられた役割にせよ、苦しむはず、死ぬはずの人を生かし治してきた事で生じた業は避けられん。あなたは1年以内に死ぬだろう。寿命はまっとうできんが、多少でも生きながらえたければ東北から出て南へ向かう事だ」

その言を受けた先代は、「ヒーリングアルファ」と教育関係の会社をたたみ、全ての相談者に惜しまれながらも、旧友を頼りに遠く離れた岐阜県へと移り住みました。

この時点までで、初代は人の悩みや苦しみ、病や死への結果をおよそ1万数千にも渡って改善の方向へとねじ曲げて来ましたが、人の運命そのものをプラスに好転させる事により、自らの運命が逆に悪転する「業(ごう)」を背負い続けていたのです。 それは目の前の人を全力で救うために自己犠牲をいとわない初代が、あえて望んで背負い続けていたものでした。

それは目の前の人を全力で救うために自己犠牲をいとわない初代が、あえて望んで背負い続けていたものでした。

その頃より岐阜県岐阜市や愛知県名古屋市の地にて、「神気界」という看板を掲げ活動しており、かつてのような栄華は誇らずとも日夜占い鑑定を続け、魂を削りながらも多くの人を救い続け、初代皇導は2010年5月、不慮の事故によりその生涯の幕を閉じました。それにより、神気界は一度世の中から姿を消しました。

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後に二代目「皇導」となる私は当時、気功・除霊・占いの霊能者としての技の多くを継承していたものの、初代は「多大なリスクがある」としてその仕事を私に勧めることはありませんでした。
そのため私は幾つかの会社で働き、過去の父と同じ、経営という道に進みました。

父の葬儀が終わった時でした。初代のご相談者様から「二代目として継がないんですか」と質問をいただきます。

奇跡を起こし続ける初代の実力を間近で見てきた私は到底初代の代わりなどできないと感じ、その時は「いつか…」と言葉を濁すのが精いっぱいでした。

それでもごく一部のご相談者様は私を強く頼ってくださり、私もそれに応えようと必死に努力し、神気界での対面占い相談による実践を重ね続けました。

そのおかげか、頼る初代の居ないなかでも、少しずつ人を癒やし、またその時はささやかなものですが霊感・霊視を用いた占いを行っていくことができました。

そしてあるとき、父の代からのお付き合いで定期的に占い鑑定を依頼して下さるお客様から、「息子先生も初代先生と全く変わりなく、私の痛みを癒せていますよ」というお言葉をいただきました。
その時、「私なりに霊能者の道を進もう」と決意したことを今でもよく覚えています。 そこから「神気界」の黒色の名刺を作り、二代目皇導を名乗り出しました

二代目皇導の進化

その後、ひたすらに神社仏閣を参拝し続け、そして念願の「業を背負わない手法」を編み出し、検証し確立させ、初代が遺したものや新たに習得した数多くの術や祈祷を何度も何度も暗唱し暗記し実践し検証し、効果を何回も何回も確認した上で、自らのものにして来ました。

その折に先代が用いていた気功術「神気」を流用する事によって、霊能による占術である「霊視」を授かることができ、その精度の高さを数多く「ごく現実的に」検証した上で、従来の経営を相方に任せ退き、父の代のお客様を占い鑑定しつつ、霊能者やスピリチュアルカウンセラーによる、「電話占い」の世界へと足を踏み入れました。

霊能者が150人近く登録されているとある最大手電話占い会社にて電話占い相談を行なっていました。

霊視の精度と除霊・気功・祈祷の効果が高く評価され、時に一番人気としてその時点まででおよそ三年半、霊能者を専業として13,000件弱を占い鑑定する事ができました。

経験に裏打ちされた力

「雨垂れ石を穿つ」と言いますが、最初は平均15分から30分ほど掛かっていた除霊も日々の努力と実践により、おおよそ3分程でほぼ全ての霊障に対して行えるようなり、気付けば初代に肩を並べるほどに仕事ができている私が最後には居ました。

この対面相談と電話相談に明け暮れた三年半もの間、占い鑑定室兼自室の前には、先代が遺した「神気界」の看板が立て掛けられていました。

その前は継ぐ意志の無い私により押入れに詰め込まれ、それからは狭い廊下に立て掛けてられていたために所々少し傷ついてはいたのですが、その看板を見る度に、私は初代の重い役割を引き継ぎ、多くの人を救い導くのだと決意をし続ける事ができました。

初代と同じ「皇導」の名を、「天上の神へと導く者」という大きな名前を名乗る事に恥じぬよう、全身全霊で全ての人の全ての悩みに寄り添い解決していこうと、この約13,000件弱もの電話占い相談をこなした私は感じました。

新天地、愛知県名古屋市中村区へ

それまでは、岐阜県大垣市にて事務所を構えていました。

しかしお越しいただくその半数以上の方が愛知県からのお客様であることと、より多くの悩み触れ解決をもたらしていきたいとの考えから、2017年1月18日に愛知県名古屋市中村区へと移転をすることとなりました。

結果的に神気界での相談件数は以前の数倍になり、また飛躍的に解決能力が向上し、多くの霊能者や気功師、果ては初代の皇導にも全く不可能だったことまでもが行えるようになりました。

さらにそこから、誰も知り得ない情報を知る「霊的超高次存在」と常に繋がることができるようになり、「チャネリング」という霊的超高次存在からの言を私を通して伝えるという、霊能者としての究極とも言える、最上の霊視霊感占い手段を獲得します。
それは奇しくもかつて、初代を死の運命から逃れさせた霊能者に似た、「人の人生を変えるための力」でした。

これは私が長年渇望してきた、全ての霊能者の目標でもある究極の、「100%の霊視霊感」の獲得に繋がりました。
そしてここから、二代目皇導による新生「神気界」の新たなステージが始まりました。

そして現在

また現在は、特に身体症状へのアプローチについては以前は不可能であった難病や視力や聴力といった、一般的な気功師では決してアプローチができないような現代医療の先へと挑戦し続け、場合により「奇跡」を起こすことを行えています。

2020年9月現在は、「全ての人の全ての悩みへ」とした神気界のコンセプトをそのままに、現実を変えるための強力な手段を、占い鑑定と並行して朝も夜もなく日々研究し続けています。

その成果として精神的な要素の改善へとアプローチする「精神改変術」というものを編み出し、数多くのこころの悩みを抱える方を癒やし、また、それを広く商品化するべく「Dels [デルス]」というスピリチュアルブランドを別会社様との協力の末、約1年半の時間を掛けて立ち上げました。

これは占い界・霊能者業界では現在までに誰も実現していない「効果の検証」と、そして「返品返金保証」を全面に出した、「現実を変えるためのスピリチュアル」を謳う究極のブランドです。

「Dels [デルス]」の誕生により、神気界の願う「全ての人の全ての悩みの解決」が、「私とお話をした方のみへ向けて」という枠組みを超越し、本当の意味での「全ての人」へと移り変わったと感じています。

しかし、一般的に重いとされる状態への対処は、完全な解決率ではありません。
ですがこれは、「表面的な身体症状にアプローチする」といった何年も前の私を遥かに越える成長だと言えます。
先代が解決できたものを私が解決できない、先代が解決できなかったものを私が解決できる、そのような連続の中で、「施術者(私)の命を犠牲にしない気功」というものの限界へ、日々挑み続けています。

また、霊能者として継承した技の中から、人生や運気を劇的に変えるための「神気霊符」というものを開発し、神気界のウェブショップにて「現実を変えるための御札」として広く販売中です。

文字通り365日全てを「全ての人の現実を変えていくこと」のために費やしてきた時間や想いは、通常の気功師や霊能者には出せないような「成果」や「本物である証明」として、全ての占い鑑定においてご相談者様に提示できているものになります。

この研究と検証と努力を積み上げてきた日々のなかで「初代を越える」という二代目の私の大きな目標は、今や時を異にして、肩を並べるまでになったのだという実感があります。

今は「全てを治す」「全てに劇的な成果を上げる」という、歴史上誰も到達したことがないような究極の霊能者像へと、日々多種多様なお悩みを抱えるご相談者様に寄り添い続ける中で、岩を雨水がやがて貫いていくよう、着々と歩み続けています。

5年前のあの日、神気界に「全ての人の、全ての悩みへ」というコンセプトを与えたことを覚えています。
「全ての人の、全ての悩みへ」挑み続けた結果、その「全ての人の全ての悩みへ」光を与えるような霊能者として成長ができたと感じています。

これから先の未来も、全てのご相談者様に等しく光をもたらしていくような占い鑑定を行い続けていくことを決意しています。

ぜひ、あなたが「最上の道」を歩むためのお手伝いをさせてください。

霊能者として、また人として、心を込めて全ての人に究極の仕事を行うことをお約束いたします。

神気界 泉皇導

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