霊能者視点からパワースポットとは?を解説!実効果のあるパワースポット「分杭峠」も紹介

皇導です。皆さんは「パワースポット」と言うと、どのような物を思い浮かべますでしょうか。

先日(仕事ではなく個人的に)とある方とお話していた際、ハワイのなんとかビーチというパワースポットについてお話をされていました。

なんでも、海へ出る川の水と、海の引き潮の水がぶつかり合う場所だそうで、ハワイの王が御用達だったプライベートビーチだったというのです。

そこがパワースポットらしい、凄いらしい、という評判をお話されていた次第です。

というわけで今回は、そんなパワースポットについてのお話です。

「パワースポット」とは?

冒頭の件は、私の職業をご存知で、パワースポットって凄いですね!というお話だったのですが、私はそれに対して「そこに行って、確実にこれが変わったという効果はありましたか?」と質問をしました。

その方は実際の効果は良く分からなかった、という話でした。

私は続けました。

「私が思うに、パワースポットというのは“実在の効果・効能”が有って初めてパワースポットなのではないかと思います」

「実際に行って、素晴らしく何かが変わったという実感や自覚が無い物をパワースポットとは私は思わないのです。」

私からすると、いわゆる「パワースポット」というのは「誰かがそういったらしいから、凄いに違いない」という似非ブランドのような称号です。

例えばイギリス王室御用達の紅茶やウイスキーがあったとして、それらは飲めるから「自分が思うに、良い悪い」という判断は出来ます。
日本の皇室御用達のお菓子が有ったとして、食べて美味しいのならそれは良いものだと思います。

しかし、いわゆるパワースポットというのは、体感したとしても「そう言われてみればそうなんじゃないかなあ。何も分からんが良かった(感じがする)」という代物です。

要するに、意味不明なブランドイメージの有るブランド、と言えます。

霊能者やスピリチュアルの世界には、「私は視えるから分かる、信じれば救われる」として、目の前に何も無い価値を「有る」と言い張って捏造されたブランドが沢山あります。

私は、そういった捏造されたブランドを嫌悪しています。

「見えない世界の不思議な物事を説き続けて、実際の現象や効果に何ら影響を及ぼせなかった、狂言を振りまいた人間」

私からすれば、これは有名なスピリチュアリストもそうですし、某有名な元死刑囚の元教祖も、名だたる宗教家も同じです。

私は彼等を平等に扱い、その大抵を否定しています。

本当に効果のあるパワースポット以外はパワースポット足り得ない

要するに、現実が本当に変えられる所以外はパワースポット足り得ないですし、そういったパワースポットは、推奨するに値しない”視えない上に重さも価値もない何か”であると感じます。

「じゃあ証明してみろ!どこが変わるんだ!何が変わったんだ!」と言われたとして、それに明確な答えを返せるものが、霊能者やスピリチュアルの世界の「不確かだけれど効果のあるもの」として認められるべき、正しいものだと私は考えます。

なお、一般的なパワースポットの定義は「不確かながらも、視えない何かで凄いと言われている場所」となるでしょうが、私の中でのパワースポットの定義は、「現実を良く変える場所」です。

私は霊能者・スピリチュアリスト以前に現実主義者です。
常にどのBLOGの記事でもそのような視点で書いています。

神社仏閣からパワースポットとしての効果を得るには

神社仏閣は、無音です。
神社参拝を行った時に有るのは、柏手を打った音のみです。

仏閣であれば、お経を唱える声か、もしくは心静かに手を合わせる事による無音。
その背後の鳥のさえずりか、木々のざわめきか、です。

そこで視えない何かに語り掛けられる人間というのはそうそう居らず、それがあるとして、おおむね妄想のたぐいのものだと言えます。

一度の参拝によって人はどう変わるか

一度の神社参拝で何かが変わるのかと言ったら、その参拝をした人の社会的性能によります。

  • 優れた人間である
  • 優れた人を作る人である
  • あるいは優れた子を育てる人である
  • 優れた成果を人にもたらす人である

そういった、一人の人間でありながら社会に対して突出した影響のある人は、一箇所の神社に一度参拝しただけでも、何らかの効果が得られます。

自覚の有るなしにかかわらず、そうではない人が一度参拝した時には、神社は果たして無音です。
なんの影響もない可能性が高いと言えます。

仏閣の参拝であれば、

  • その人が慈しみの感情を持ち合わせているかどうか
  • 心の中で猛烈な葛藤を持っているか
  • 優れた知性と理知的なものを持ち合わせているのか
  • 人を救うのかどうか

これらをその個人が有していた時に、一度の参拝でも何かが変わります。

神道も仏教も、「人は皆ただ全て正しい」として全員を活かしていこうとはしていません。

難しい言い方ですが寺社仏閣は「人によって効果の区別が有るパワースポット」というのが、上記の話です。

要約すると、「人によって一度の参拝で何かが変わるし、あるいは変わらない。」という事になります。

寺社仏閣からパワースポットとしてのご利益を必ず得るには「通い続けること」が大事

寺社仏閣は「人によって効果の区別が有るパワースポット」ですが、全員に対して平等にパワースポット(現実を良く変える場所)としてのご利益があるとすれば、神社に一個人が通った時のみです。
この場合は、一切合切の人生が変わります。

程度にはよりますが、3年間、1ヶ月に1回以上通えば、3年後には必ず見違える人生になっています。

私は霊能者として未熟な頃に通い始め、もう数え切れないほど月に二回~四回程度、同じ神社に参拝を続けていますが、日々、過去に出来なかったことが出来るようになり、力を上げ続けている事が出来ております。

「世の中の人のためにより尽くさせて下さい」と願い続け、その願いは事実として、ほぼ毎日達成が出来ている次第です。

その他、そのさる神社の大神様には数多くの願いを叶えて頂けております。

私が霊能者であり、お話をお伺いする手段がある以前に、現実が、神社の大神様の意思を現している次第です。

同じように真剣に通い続けた人間で、不幸な人間を私は知りませんし、あるいは優れた知性や方法論をもってしても解決ができないような大問題を抱えた人を知りません。

大きく作法を間違えていた場合は別ですが、ごくごく現実的な結果(数字・出来事や、起こった事や起こらなかった事)で言えば、Before→Afterでの違いは凄まじい物となっているはずです。

仏閣に通い続けた場合も同様で、真の悩み以外にとらわれない、極めて優れた見識を備えた人間がそこに仕立てられ、優れたものの見方によって、幸福を芯から享受している事に必ずなります。

・寺社仏閣のご利益は通い続けることが条件

結果が先に欲しいというのは望ましいことですが、通い続けた後に人生を2年3年で振り返って、結果として違いが出るのが「ご利益」の現実的な姿です。

このご利益は必ず誰にでも与えられるものですが、その代わりに通い続けるというのは必須です。

私は神社仏閣以上に優れたパワースポット(現実を良く変える場所)を知りません。

知りませんが、通い続けて振り返ってみてはじめて、現実が良く変わる場所(=パワースポット)であると実感できる、という条件は有ります。

せいぜい交通費と労力と時間、平均寿命で言って人生84年として、その人生の中の3.57%の時期の中の更にほんの少しの時間だけ用いて、定期的な参拝を行ってみるのも良いのではないでしょうか。
どこにあるどのような神社でも、です。

まとめ

  • パワースポットとは「現実を良く変える場所」のこと
  • 寺社仏閣はこれ以上なく優れたパワースポットである
  • 一度の参拝では効果が出る人と出ない人で分けられる
  • 寺社仏閣の全員共通のご利益は通い続けてはじめて実感できるもの

【この記事もチェック!】

私の唯一知る神社以外のパワースポット「分杭峠」の話

冒頭に登場した「とある方」に続けて、私はお話を致しました。

文章よりは語り口調のほうが分かりやすいかと思いますので、ここからはその場で話した内容を。

「一応、神社仏閣以外のパワースポットというのは存在していますよ。それこそまあ、とっつきの悪くうさんくさいような場所ですが、面白い事に本当の効果が有るのです。

映画やドラマの『TRICK』というのはご存知ですか?自称霊能力者やうさんくさい村が出てくる作品です。そこの世界観にとても似ている場所が、長野県の山奥に有るんですよ。

それは「分杭峠(ぶんくいとうげ)」という場所で、名古屋から車で大体2時間半の場所にあるところなんですね。

そこはホームページが有って、いわく、偉い中国だかの気功の大先生とやらが「ここには凄い気が流れておる!」というような話をして、それで村起こし的にかは知りませんが、長野県の山奥でシャトルバスの運行もするし、水の採取販売所もある一大パワースポットが出来たという事なんですね。

事前情報はそんなもので、大体5~6年前に実際に行ったんですが、そこがかなり凄いところでした。

まず、山のふもとに近い駐車場に行くと、そこを降りると売店が有り、謎の「氣」グッズが売っていたんですね。

数珠、せんべい、水、置物、これはもう何でも有りで、度肝を抜かれていると売店のお婆さんが「ええ氣が出とるよ~」と枯れた声で四度ぐらい言うんですね。

ええ氣が出ている数珠、ええ氣が出ているせんべい、ええ氣が出ている水、ええ氣が出ている置物・・・と、これはもう凄まじい所に迷い込んだと感じました。

度肝を抜かれてそこを後にし、「ええ氣が出ている場所」へのシャトルバスに乗ると、窓の外にかなり規模の大きい取水施設があって、「ああ、ここで「ええ氣が出ている水」を採取してパック詰めするんだなあ」と。

その後、バスが到着するとやたら元気な交通整備員のお爺ちゃんが、交通誘導をしていたんですね。

お話を聞くと「ここで毎年交通整備をしているんだけども、ここのオフシーズンは家で杖をついて歩いているんだが、シーズンになってここで仕事をすると、どういうわけか持病の膝と腰が治って杖無しでも元気に生活が出来るんだ!」と。

ほう!そりゃすごい!と思ってそのままこちらへどうぞ、というような散歩道を歩いていったんですが、小川が有ったりなんだり、「ええ森」という感じのところでして。ゼロ磁場ということでiPhoneのコンパスを出したのですが、その場所では地場が狂ったりですね。

その後、皆さんなにかそこら辺の石に手をかざして歩いていて、聞けば「ここの石を持って帰ると、病気が治るんです!」と。

後で交通整備員のお爺ちゃんに聞いたところ、「痛いのでもどういうのでも、この分杭峠から探して家に持ち帰った「手をかざすとビリビリする石」にかざしておけば治るんだけども、2ヶ月~3ヶ月で効果が切れるんですわ!」と。ちなみに石無しだと2週間でその効果が切れる、と。

先程の方々は、手をかざすとビリビリする石を探していたのだ、という事が分かってですね。

一応どうもその、私の仕事上のスキルで言うと本当に治る場所と石な事が分かったんですが、じゃあまあ、根本原因は治せないけど結果だけ治せるんだなあ、ということで、私はそこを、現実に痛みやらが治せるパワースポットなんだなあと思いまして。

でも印象は、TRICKに出てくる怪しい村でしたけどね。ええ氣が出とるよ~の辺りが…」

・・・というお話です。

「分杭峠」は病や傷みを一時的に治す謎だけど素晴らしい場所

要するに、長野県の山奥には、原因は触れないが結果だけ治せる場所と石が存在しているわけです。意味不明ですね。

私は分杭峠で、いわゆるただの気功としてエネルギーを出すように行ってみましたが、全てが空間に中和されて無になる感覚を味わいました。
分杭峠は、エネルギーを対消滅させる謎の場所、というような印象です。

「痛み=エネルギー」かと言われれば、そうかもしれないし、そうではないかもしれませんが、要するに病が一時的に治るような実効果が現れたというのは素晴らしいことです。

私の分析上では、全く効果がない病気も多く、有るとしてもいまいち持続性が高くないというのはつまらないものなので、結果として石を持ち帰る事は有りませんでしたが、こうして語れるような楽しい経験だった事が価値として今も残っています。

一時的にでも良い上に、表面的な痛みやコリ等々を持っている方は、是非分杭峠に行ってみてはいかがでしょうか。

私見では、石やスポットには効果はあると思います。

冬季に休業されているとの事と、2018年に土砂崩れが有って気場が崩れている可能性がある(?)等の情報もありますが、ネットで検索した所、今もシャトルバスは元気に運行中のようです。

交通整備のお爺さんや売店のお婆さんは今も元気に働いていらっしゃると思います。
(実際の治癒効果が今も有るのかは分かりませんが…)

怪しさを求めて、あるいは一時的な表面的な病状の改善を狙って、あるいはドライブの目的地として、行かれてみるのもよろしいかなと思います。

最低限、怪しさは体感して帰る事は出来るのかなと思います。

寺社仏閣に通うことで身近なパワースポットになる

神社仏閣に足繁く通えば、そこは身近なパワースポットになります。

絶大なご利益が必ず受けられます

しかし、今、即座に何か手っ取り早く、痛みが治るような効果が一時的にでも欲しいのなら長野県の山奥の分杭峠へ。

もしくは、根本的な物を求めて我が神気界へどうぞ。

皇導

【この記事もチェック!】