霊能者推奨の40倍ご利益のある神社参拝法[1]

神社仏閣・神


霊能者占い鑑定所 神気界 泉 皇導と申します。
年の暮れが迫って参りました。一年の感謝をお伝えしに、そして来年という未来に向けての神社参拝に皆さんも行かれるのではないでしょうか。

そういったところで今回からは、霊能者が推奨をする「奥義」と言っていいぐらいの神社参拝法についての解説を致します。

私が自信をもって推奨する、神社へ参拝される方は必読の記事になります。

第一回目は「心の在り方」「願意(おねがいごと)」についてのお話です。

神様の思いを理解する

神社神道の神様の思いを理解することで、正しい参拝方法が導き出せます。
神社の神様は、参拝者へは以下のような考え方を持っています。

社会的影響への関心:

・個人への興味関心は少ない。
→ 一柱(神様の数え方の単位は「柱」です)あたり8人~2000万人を支配・監督しているため、よほど神様基準で面白い人間以外は特に記憶に残るわけでもなく、関心が無いに等しい。

 

・社会全体への影響度に重点を置く。
一個人が社会にどのような影響力があるのか、というものには関心がある。
主婦であれば子供や伴侶や主婦仲間や友人知人に対しての好影響を、サラリーマンであれば仕事を通じた同僚や客先の人間への好影響や仕事の社会的好影響を、医師であれば人を生かす事による絶大な好影響を、教育者であれば人を作る好影響を、自営業であれば仕事の好影響や社員への好影響を、学生や乳幼児はその未来の社会的影響の可能性を見る、ということになります。

 

人間はさして有名な人物でも有能な人物ではなくても、全員が全員優れた社会への好影響を(ニートと生活保護で人と関わらない人等を除き)保有しています。
個人のことはどうでもいいのですが、神道の神様は主に「社会を作る存在」であり、「社会への影響」と「どのような社会への参加を行なっているのか」を重要視しています。

 

望まれない願い事:

・金銭や恨み、縁切りのような低俗な願いは不快である。
→この種の願いは避けるべきです。「金が欲しい」という願いは社会的影響を含まない、利己的で邪悪な願いです。ギャンブル運やら宝くじやらについて願うことも同様です。
(そのような意図で参拝者を増やしている神社は邪悪で罪深いと言えます。)

近い話に思えるようですが、仮に「仕事がうまくいくように」「出世できるように」という話であれば”社会的な好影響を増やしたい”という話になります。

また、恨みがましく思う相手が失墜するように願う場合、その相手の社会的な影響力をゼロにすることを願うのと同様であるため、これもまた邪悪な願いとなります。

縁切りを願うことは、場合により「神様が意図して作った人と人との関係性を否定すること」、つまりは「神様の緻密な計算に基づいた行ないを否定すること」に繋がるため、最もしてはならない、最低最悪の願いになります。(特に不倫の縁結びを願う等の場合はタタリの対象になるほどです。)

 

志の高さの評価:

・高い志(目標、夢、未来への壮大な構想)を持つ人は魅力的に思える。そういった人のために創意工夫をすることが楽しい。

→願う人間の夢を実際に叶えるルートを考えること、そしてその手助けをすることはパズルを解くようで非常に楽しい行いに感じるようです。
例えば「霊能者だけど将来ビルが欲しい」のような偏屈な人間が居たとすれば、「現状の仕事だと無理だから新しく事業やんな。こんな事業が良いぞ」と、ビジネスモデルの発想と人とのご縁を与え、良き銀行やアドバイザーの言葉を導き、ビジネスモデルを現実化させる人間との適切な出会いを提供する、等の働きがあるかもしれません。

「東大卒で官僚になりたい」という願いの子供が居たとすれば、能力的に可能であれば「近場の頭の良い同級生の女性に惚れ込むようにし、その子との手に入るようで手に入らないもどかしい人間関係を作る」ことで勉強をする姿勢を学ばせ、勉強をする意義を感じさせ、「頭が良く東大生になりたいような人」をライバル視するようになり、塾が最適なところでなければ「塾がやだ!」と主張させて最適なところに行くように仕向け、親の仕事をうまくいかせ教育費をより出させ、親が集中して勉強をする環境を提供し、などの導き方をするかもしれません。

「人の縁・人の発言・人の動き・金の流れ・発想・心の状態・思考の状態」あたりを動かすことで願いを叶えるゲーム、のようなものを神様は好まれます。

ゆえに、難易度が高く、ギリギリ現実化が不可能かもしれない程度の願いを人が持ってくることは、この上なく楽しいことになります。
そのため志の高い参拝者になることが求められます。

「祈念の深さ」の評価:

以下の6点の基準により「神を仰ぎ見る角度が高い」と見なされ、参拝者としてより正しく、より好まれやすくなります。

1.祈祷の実施の有無
→御祈祷を神社に依頼するかどうか。しなくてもいいが、あったほうがより正しい。

2.酒の奉納の有無
→日本酒の奉納を神社にするかどうか。しなくてもいいが、あったほうがより正しい。
清く美味な酒の方がより更に正しい。(「純米大吟醸の四合瓶」を推奨)

3.礼節の遵守の程度
→作法をきちんとしており、心から深々と礼をする参拝者のほうが正しい。
己を小さく、安く、謙虚に願う姿勢があればより正しい。

4.神の尊さの理解度
→神の尊さをこれ以上なく巨大に見ること、逆に己の存在をそこに対比して小さく小さく見ることが重要です。

 

そもそも人類最高の権威ある(エリザベス女王やローマ法王が上座を譲る)人物が天皇陛下ですが、その天皇陛下は神道の祭司(儀式をつかさどる人)の総代表です。つまり、「天皇陛下よりも偉い存在に対してどう接するのか」「皇居よりも尊い場所に来てどう立ち振る舞うのか」が参拝者には問われるのです。

そこを知らずに観光なのか参拝なのかあやふやな参拝者はよろしくなく、また、神の尊さを理解していない参拝者もよろしくないのです。
そこに足りない方は、今から直せば問題ありません。

 

また世が世なら、天皇陛下に「おっす」という気持ちで接する人は不敬罪です。神社の神様に「おっす」と参拝する人はそれに比べて死刑でも構わんだろうぐらいで私は考えています。
しっかりと敬意をもって参拝すべきですし、そうしないなら参拝しないほうがマシです。
「人類最高の尊い人が全身全霊で尊いと祈る先の存在」が神道の神様です。
その尊さを理解しましょう。

 

5.金や恨みなど不快な願いからの距離
前述の通り、金や恨みなどの願いを無意識的にでも持つべきではありません。
そのような願いはしてはいけない!と意識していれば、ふと間違えて願ってしまっても問題はありません。
とにかく、それらは願って良いものと認識してはいけないのです。

 

6.日本への帰属意識の程度
→「日本国に帰属する日本人であること」を、参拝者はある程度意識すべきです。
将来的に海外に移り住むかも、という場合は、日本の社会を作る存在である神様からすると、導いただけ無駄になってしまいます。

それゆえ、海外居住の可能性がある人でも「私は日本に住む日本人で一生居るだろう」という気持ちで参拝するようにして下さい。

神様の思いに沿った祈念をする

上記の神様の思いに沿う心や姿での参拝が最も良いと言えます。

自分の社会的な影響力を確認し、意識をすること

「自分一人が社会にどのような好影響があるのか」を、拡大解釈や誇大妄想も込みで、現実的に「言われてみればそうだな」というぐらいのレベルで考え、きちんと意識するようにして下さい。

例はこの記事の冒頭に前述しています。

願いごと(願意)を叶えることによる社会的な好影響を考えること

「自分の願いが叶う事により、社会に好影響が起こる」ということを、これもまた拡大解釈や誇大妄想も込みで、現実的に「言われてみればそうだな」というぐらいのレベルで考えて意識するようにして下さい。

神様は「人個人の欲望なんぞ叶えてやりたくない」ぐらいの考えを持たれています。
しかし、「社会に良い影響がある個人の望みなら考えてやる」とも同時にお考えです。

そのため、以下のような「自分」「願い」「社会」を結び付けた祈念が最適です。

「うちの息子が頭が良くなって社会で活躍して人様の役に立つように」
「家族が健康であることで、社会に安定して貢献し続けられるように」
「私の自営の建設業が世の中のお役に立ち、見ず知らずの多くの人の仕事や生活に役立てていただけますように」
「私の車の買い取り営業の仕事が上手くいくことにより、多くのお客様の未来を(大きな買取金額をお客さんが大きく活用することで)良くしていきたい」
「私の窯元の陶器がたくさん世の中に出て、色鮮やかな食器で人の心が豊かになり、社会を明るくし、多くの人の一家団欒を大いに作っていけますように」
「私が工場で働く中でミス無く問題無く仕事が回転し、不都合なく社会のお役に立てますように」
「Aさんと結婚できた時は、Aさんが仕事により注力して社会のお役に立てるように私が支えつつ、私もしっかり共働きで社会に貢献すべく働いていきたいと思いますので、ご縁を結んでください」
「結婚相手を今探しているところですが、私がその人に良い影響を与えることが出来、相手が私に良い影響を与えることで、夫婦で社会や人のために貢献していけるよう、良いご縁を下さい」

など、これらは一例ですが、「自分」の「願い」が叶うと「社会」に好影響がある!!という主張を交えて願いごとはすべきです。

神様「超分かってる人間じゃん」という扱いを受けますので、願いを叶えたい欲や、その責務を神様が圧倒的に感じやすくなります。

なぜこの参拝法が「奥義」なのか


神様という存在は、多忙な上に一切の無駄を嫌う存在になります。
またそもそもが人の願いを叶えることは義務ではなく、生花や書道と近いような、「高貴な”たしなみ”」と考えているところが大きいです。

西洋的にはノブレス・オブリージュ=「高貴たる者の責務」、日本的には「位高ければ徳高きを要す」という概念がありますが、そんなような感じで人を「まあまあの趣味」として導いている節があります。

そういった中で、「たしなみ」に沿う「面白い人」の願いは”叶えてやる”というのが大体の神様と人と願いにおける真実になります。
つまりは、我々が思うほど願いというのは叶えて下さらないのです。

しかしその「たしなみ」において、「ついうっかり叶えてあげたくなる人」というのもまた同時に存在しているわけです。

「社会や全体への影響を考える個人」がその「叶えてあげたくなる人」にあたります。
その人が神様の尊さを知り、礼儀作法もきちんとしていた場合、それはもう「叶える以外に選択肢が見当たらない」ぐらいに叶えたくなるものです。

通常の神社参拝では、「面白い人」もしくは「定期的に何度も来る人」が優先され、「叶えてやる」という神様の御働きがあります。

面白い人」と「神社に40回来る人」は、価値がイコールだと言えます。
この参拝手法により皆さんが「面白い人」になることにより、「40倍ご利益がある」参拝が行なえます。

また、この参拝の心構えは「神様が何を考えているのか」というのが完全に主軸になっています。
この情報やお話自体は本来は私のような神道系に極端に偏った霊能者にしか分からない話になりますが、今回はそれを分かりやすくお伝えしてみた次第です。

まとめ・さいごに

神様の、人がこうあって欲しいという「求め」とまったく同一の人物のように、
神様の考え方に沿うような角度で願う、ということが正しい参拝の気構え・心構えになります。

サラリーマンでも主婦でも文筆家でも副業転売ヤーでも学生でも誰でもなんでもいいので、この記事に沿うような自分の願い方をきちんと設計した上で神社参拝をして下さい。

ちなみに私は今も昔も願う内容は変わりません。
「いつも多大なる御力添えを頂戴賜り平身低頭感謝致します。私が、私共が、世のため人のためにより強く、より広く、より速やかに尽くせますよう、平身低頭祈念申し奉ります。」という一点のみです。

私の場合は神道に身投げしたぐらいの霊能者なので一応かなり個人としては認識されているそうで、このような祈念内容になります。

悲しいかな99.98~99.99%ぐらいの参拝者は個人として認識されていないので、皆さんは心を正しく持ち、認識をあらたにし、「自分の願いを叶えることで社会への好影響に繋がる」という主張をもって参拝をしてください。

必ず、奇跡が起こります。

次回は以前書いた記事の焼き増しになりそうですが、より正しい「神社参拝の作法について」の解説を行いたいと思います。

霊能者占い鑑定所 神気界 泉 皇導

神気界について


愛知県名古屋市中村区にて、先代より引き継ぎ二代目の霊能者として占い鑑定所を開いております。
完全予約制にて、対面鑑定・電話占いによる鑑定により1日2件限定にて多くの方をご鑑定差し上げております。

一度の相談のみで結果・成果を出し解決する事を重視し、霊能者としての占い・除霊・独自の気功を行っており、また、「事実視えない力が扱える霊能者である」と誰しもが分かるような証明を全ての鑑定にて行い続けています。

お越し頂ける範囲の方の鑑定のみならず、「電話占い」により日本全国に対応しております。
お悩みの有る方や迷いのある方は、ぜひ一度ご依頼を下さい。

個人の方は、対面占い・電話占いともに50,000円/90分にて鑑定を行っております。
皆さまからのご依頼を心よりお待ち申し上げております。

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神気界 泉 皇導<コウドウ>

 

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