お盆を前に知る!仏教における「あの世」とは

神社仏閣・神


【2023/7/13追記】
霊能者占い鑑定所 神気界 泉 皇導と申します。

もうじきお盆です。
私は神道系霊能者97%・仏教系霊能者3%という配分でこの仕事を行なっています。

そのため記事は神社や神社神道についてのものが多いのですが、今回から2記事ぐらいは仏教関係の霊能者視点での「実はこうなっていますよ」というお話を書いていきたいと思います。

今回は満を持して、仏教におけるあの世(お浄土)とはどうなっているのか、というスペシャル記事です。ぜひご覧いただければと思います。

なお、本記事は不思議な読み物などではなく、きちんとした事実を書き記していきます。
これらが事実であるかどうか、というのは、私が本物であるのかどうか、ということとイコールかと思います。

私は手を触れずに人の身体症状を具体的に治すための気功・ヒーリングを普段から仕事で行なっており、また、【オンラインサロン 千泉界】 こちらでは、入会者は誰もが私と同レベルで手を触れずに身体症状にアプローチできるように即座になれます。

このオンラインサロンは立ち上げ10ヶ月で、医療関係者や整体院の経営者等の「現実的に身体を治せないものに一切用事がない」7名の会員を含む、43名の会員数になりました。

そういったあたりで、一応本物なんじゃないかなと信じていただき、本記事をご覧いただければと思います。

また、私のこの記事は、私が霊能者としての占い鑑定の際にお話をお伺いしている、霊的超高次存在による情報をまとめたものになります。

なかなかとっつきにくい話かと思いますが、更にここまでの説明で信じられる方は信じてご覧いただきたく思います。

「あの世」の世界観について、かなりの情報量を書いておきました。

あの世の地理と生活空間


・東京都と同じサイズ感の場所がお浄土である。正方形で、山・川・海の全てがあり、随所に人の住む小屋が無数に立ち並んでいる。
全員同一のサイズの小屋であり、ある意味、平等は平等である。
ちなみに天皇家の濃いめの血族の人間は神道側の特別な場所に行くためにここには居ない。(そもそも仏教葬ではない)

・人間の世界にある有名な寺を模したものを中心に、寺院が199の数ある。

・地形は日本のどこにも類似したものはなく、豊かな場所、という印象の景色。

・田舎や田園風景に見えるかというと、そうではない。食がないので田畑が無い。
また、小屋がびっしりと綺麗に整列して並んでいるので、太陽光パネル(に見える小屋)が敷き詰められた地方の村、みたいな見た目に近いかもしれない。

・小屋の中はプライバシーが守られ、人を招き入れることも出来、孤独にもなれるが、特に家具家財というものは無い。物の所有という概念もあまりないので、大体は簡素な四畳半が一つの小屋であると言える。

あの世でのコミュニケーション


・神仏もそうだし精霊もそうであるが、全ての霊的な存在の特徴だが、「心が筒抜け」である。人間のように、心で考えたことを言わずに置くということができない。そのため、争いや軋轢、疑心暗鬼などが存在しない(と言われている)
 ちなみに、バレないように思考する方法もあり、娯楽などに活用されている。

・そのため、口を開かなくても会話ができるが、癖で全員が口を開いて声を発して会話をする。

・恋愛は無い。夫婦が寄り添うのは良い。新たな友情はある。仲間もできる。
基本的な生きがい(?)は、仲間と友情だと言える。

あの世の階層システム・支配構造


・生前の日本の仏教諸派のどれに所属したのかによらず、同じあの世に入れられる。

・難しい話だが、ある仏様がお一人だけ、あの世で過ごす人間に顔を見せる役割になっている。

・例えば大日如来であるとか地蔵菩薩であるとか、観世音菩薩といった他の仏様は誰も一切見たことがないが、その存在が実在しているのは誰からも明らかである。

・「ある仏様」から以下は、奉仕に明け暮れる霊的存在の坊主(元人間ではないもの)が何千人か居る。坊主内の組織構造は不明。

・坊主の下は、800年以上あの世に居る優等生な元人間がその下支え役を行なっている。これが40万人程度。

・その1つ下の立ち位置が、「仏法から逸れるんじゃない」という公安のような役割になった、これもまた優等生な元人間である。数は上の10倍から30倍というが定かではない。

・そのまた1つ下の立場が「303人の長」である。「303人の長」は修行を繰り返し、または人生修業が修羅の道だったがために、あの世(お浄土)の人間の最小単位「303人」を導く人間に任命された人間のことを言う。盟主?村長?のような立場にあたる。

・「303人の長」の子孫は、広大無辺な思考の修行(要するに生きて考え、悩みを持ち、迷うこと)から解き放たれる(と言われているが事実ではないことも多い)

・その下が単なる村人みたいな感じの人間である。あるいは新参者がその更に下に見られる場合も多くある。地味に階層社会と言えんわけでもない。

・ちなみに歴史上の偉いお坊さんらは「ある仏様」ではない他の仏様の下で衆生(我々の生きる世界)を支える役割にあるため、見えるところには居ないし顔も誰も見たことがない。
なんなら生前に僧侶を行なっていた人間で、出来が悪くない人間はそこの下支えをする立ち位置にスカウトされる。

・また、制度に対するクレームを言う権利は誰にもなんら一切無い。
与えられた世界を手を合わせて享受するのみであり、民主主義も議会制なども無い。

あの世の法


・「心頭滅却して一途(いちず)に修行をしなさい」という、無二の法(法律的なもの)がある。これを義務として、無限に存在することを許される。

修行の内容


・主な修行の内容は4種類に分かれる。

1.「仏様のお話を聞き、意味を問われて回答をする問答の修行」
最も尊い修行。仏様と言ってもお一方しかいらっしゃらないため、お忙しく、一部の者が受けられるもの。やがて全員が受けられると信じられている。

2.「自分の人生を回顧しながら懺悔のようなものを1000日行なう、五里霧中な(物事の判断がつかず、迷いの多い)生であったと知るための修行」
懲罰の意味と、人間としての悪性の洗浄の意味との両方がある修行。強欲だが徳の高い人間というたぐいの人間が5回10回繰り返される傾向にあり、善良な人間は1度も経験をしないものである。

3.「日の出から日の入りまで想いにふけりながら暮らす修行」
これがいわゆる日常にあたる。日々是修行、みたいなところがあるらしい。

4.「沢山の人と話し明かす修行」
あの世では人間的な進歩というのは無いが、布で石を磨けばいつか玉になるという、途方もない時間の中で、美しく輝く人間になると信じられている。磨き方というのは、人と話すということになる。

本当は修行なのだけども、おしゃべりを行なうことが奨励されている。
というより、無限の時間を消費するコンテンツが他にはほぼ無いので、あの世では人はおしゃべりをする事になる。

あの世の娯楽


・余談だが、カード状?板状のなにかに模様を彫りつけて、グレーゾーンだが麻雀が行われている。
 カードもののゲームであれば他にも存在はしていないことはないが、一部の集落でのみ行われる。

・酒・タバコは無い。ただし仏壇や墓に供えられたものを般若湯(要は酒)とか、知恵熱の煙(要はタバコ)などと称してこっそりと喫煙・飲酒する先祖は後を絶たない。良くわからないが、それをあの世では見て見ぬふりをされるらしい。

・パチンコ、競馬、競艇、その他は無い。類似したものも無い。
賭博は地獄に落ちてもおかしくない程度の害であるためである。
無論、通貨に似たようなものも一切無い。

・囲碁将棋が無い。なぜか許されていない。

・賭博の開発をすると独房行き20年みたいな具合になる。闇に幽閉されるとされる。
ただしそのカード麻雀?は許されている。

・漫画、ゲームはもちろん、書物でさえ無い。人間らしく会話をして楽しめ(修行しろ)ということが大きい。会話のクッションになるようなツールをあまり与えたくないのだろうか?

・字は書けない、書いてはならない。が、板のようなものに絵は描ける(色は無い)。
描いたものは人に見せることもできる。ただし、所有欲という欲を(仏法として)持つべきではないので、描いて良いものは簡素でつまらないものでなくてはならないらしい。
(多分これが麻雀のツールになっているのではないか?)

あの世に行った偉人

・人気が高い人間は、「303人の長」と兼ねて、セミナー?話を聞かせる?などの修行を与えられることもある。要は偉人に該当する人間はこの立ち位置になりやすい。

・ただし、欲望で社会を作ってきたその偉人という種別の人は、浄土では暗い人間に成り果てることが多くある。自らの全ての行いから出た波及的な業(良い影響・悪い影響)を全て猛省して飲み込むことを修行で強要されるため、後悔の生き物?になる事が多々ある。というより、ほとんど例外はなく暗い人間になる。

 経営者が知らず知らずのうちに人死にを作ったとか、開発したものが人の仕事を奪って絶望を生んだとか、世の貧困に加担したとか、それを1人ずつ、その迷惑をかけた相手の人生の重みごと見せられるのである。暗くもなる。

・これがあり、平々凡々な生き方の人間のほうが幸福な人生だったと浄土では(一般大衆的に)言われている。

あの世の位置座標

・この「あの世」は日本という次元におけるものであり、海外や沖縄とは繋がっていない。沖縄の仏教(仏教の墓での仏教徒は超少数派だが)に傾倒したとしても、行き先は琉球神道の指定した行き先である。(そこも良いところ)

・当然海外旅行もない。

あの世の理解

・なお週休0日で修行を強要されるが、修行は幸福だという認識をしなければならないね、というところ。
 それが分からないなら分かるように1000日行に叩き込まれるとか。

・人口の総量規制がある。8億8000万人を越えると、幸福度が低い者から消失(消滅?)する。無限が不幸なら、かえってそのほうが良かろう、という判断によるものらしい。

消えることもまた救済というか何というか。
この制度はあまり生者には理解し難いものかもしれないが、死んだら分かる。

・「小金持ちほど死後に文句を言う」というのは格言のように言われていることである。要は、成金は平等に耐えきれんという話らしい。その場合、5~6回ぐらい、前述の1000日行をさせられると文句を言えなくなるらしい。
というより、文句を言ったら1000日行になるので言えなくなるらしい。

・この『あの世』からの生まれ変わりは無い。無い、というより、この記事に書いた仕組みが正しい。既に分割された自分の魂が生まれ変わりに旅立っているから、である。
霊能者視点での「前世」とは何か

あの世に入りたての場合

・死後、あの世に住むために教育機関(高校みたいなものをイメージしていただけると)を77日経て、一族に近い小屋に住むことが許される。ちなみに例外なく、一人一戸(一つの小屋は一人のもの)である。

・基本的には、一族内ではその先祖を重んじて生活をすることになる。
800年ぐらいの先祖(父方)に遡ったコミュニティに所属する傾向が強い。ただし、苦痛を与えることは禁止(公安?的な存在がすっ飛んでくる)なので、偏屈な祖父母を持ったとしても、嫌なことは起こらない。

・先祖は幸福を与える義務があり、優しく接してくれようとする(と言われている)。
特にパワハラ問題みたいなものは無い。

・食が存在していない事によるクーデターが起こりそうになっては鎮火して、みたいなことが何年に一度かあるらしいが、そもそも仏様の手のひらの上、というところで無意味である。抵抗するだけ無駄である。

・時間の感覚は現世とほぼ変わらないが、退屈だからという理由から、時間の進みが遅いと言われている。

あの世での人の姿

・「生前に西(あの世のある方角?)に拝んだ時の姿になる」とあの世では文化的に言われているが、要は霊体なので、光信号みたいなものなので、姿も何もない。
ビジュアルとか映像とかを超越している、それの上位概念的な姿という感じなので、仮に目で見えるビジュアルが見えたとしても、「もとに戻してくれ」となるようなものらしいが、うまく日本語に言い表せられない。
 人間的な姿よりも良い姿になる、という認識が正しい。

・人格みたいなものは、そのまんまである。が、50歳未満であれば死亡2年前の、50歳以上で亡くなれば50歳時点の人格で生きていくことになるらしい。ここらへんの詳細は説明が難しい。
 安心して欲しいのは、死後と意識が連続していることである。

・声、というよりは声の上位概念的なものでコミュニケーションを取るような感じである。本一冊分の情報量が20秒ぐらいで伝えられる、優れた伝達手段であるが、慣れるまで一切聞き取れなかったりする。あっちに行って2ヶ月ぐらいで聞き取れるとか。

あの世からこの世の私達へ①


・「子孫の支配権限」は、生前の功徳(よい行ない)によりポイント制?で購入が可能である。

・指をくわえて見ているしかない家の方がまあまあそこそこ実は多く、死後にあの世から子孫を「守る」と思ったら「見守る」で、もっと言えば「見る」だけだった、みたいな仕組みそのものへの批判も多くあったりもする。
 が、徳の高い人生を過ごせなかった事による自業自得と言われる。

・ポイントを使用して「子孫の支配権限」を行使する場合、細かく手助けができるという訳ではない。9種類の大雑把な強要を子孫に対して行なうことができる、というだけである。ポイントで購入?できるのは以下になる。
理解しやすいように、仮に

・1ポイント=仏壇に5日間お経を唱えた善行
・10ポイント=人生を変えるような良い大学に入れるように他人に勉強を教えてあげた善行

とすると、以下のポイントになる。

1.自殺しない(2,000P)
2.郷里を捨てない(実家と絶縁しない)(400P)
3.一生の不都合が消える職業に就く(120,000P)
4.死ぬまでに子を成す(300,000P)(ただし使わざるをえない子孫にしか使われない)
5.健康を手にさせ、人生の後退に抗えさせる(900P)
6.幸運を手にし、何も問題がない人生を送らせる(400,000P)
7.何者にも巻き込まれぬ人生を約束させる(人災の抑制)(200,000P)
8.死者に殺され得ぬ身になる(要は幽霊が取り憑かないようになる、というだけ)(50P)
9.超越的権限により、個人に合わせた特別な配慮をする(要相談)

※人気なのは8と2である。ただし、2が人生の成長を阻害する場合もありえる。郷里に背を向けたほうが、価値がある人間になる可能性が高くなるためである。

※8は単に安い上に、本当に子孫の生きる世界には魔物が多いので、とりあえず買われるケースも多いものである。

・上記を買えるのであれば、「買う」ことで子孫を導くことができるのである。つまり、ご先祖様的には「意外にできる事が少ない」というのが事実である。

・生前、人によく関わり、人を助け、導き、ということをライフワークとして行ってきた人間が複数いる家などは、頭の出来がそもそも良い子供に上記のポイントをオール・インする傾向がある。末子(3兄弟の3男)だけ仕事や人生に問題があり、他の兄弟は出来が良い家などは「ポイントの枯渇」の可能性が見て取れる。

・ちなみに神気界の鑑定で「あなたは幽霊は一生つかないから安心して欲しい」というケースは、「8」の購入がある人である。

あの世からこの世の私達へ②


・夢枕には一応立っても良い。年に1~2度程度、しかも物を言うのは禁止であり、監視まで付く。ただし、立ったとして通じていないことも9割9分以上とされている。通じなくとも、先祖の伝えたい想いは果たされる、といったところ。

・基本的にはこの世の人間との会話は禁止されている。
一応、今時点では4人しか居ないが特定の霊能者からは会話は可能という例外はある。(私も含む)

・基本的にはやはり、子孫を導く権限というものはない。その後悔について「そんなものは生前にやっておけ」が決まり文句である。その話題では、誰かがそう言う。

・ただし、子孫は神道の神が管轄し、仏教の仏も助けに入ることで守り切るようになっている。そのため修行や、仏様を信じることが基本的な子孫を守るための手段だと考えられている。

あの世について補足説明


・かなり陳腐な言い方なのでよろしくないが、いわゆる昨今言われる仮想世界「メタバース」の概念に近い。

・「死とは無である」というところを、わざわざ仏様が救済して「死後にも場があり生がある」としたのがあの世の正体である。

・当然、他宗教には他宗教なりの「死後にも場があり生がある」というものが用意されている。ちなみに、日本仏教のあの世が世界一出来が良く、幸福な場だと言える。

・神道葬で神道墓だと、場など用意されておらず、神道墓の近くで先祖や近くの神道墓の人間とワイワイ勝手にやってくれ的な感じの扱いになるので、死後は仏教に任せておいたほうが無難。

・なお、「お坊さんの居ないお葬式」をやると、「死とは無である」になる。葬式もやらなければならない。1200年続く儀式を、個人の感想で曲げてはならないのである。

・ブログでも何度も言っているが、49日の経過後にお骨を墓に入れておかないと、そもそもあの世にすら行けないので、気を付けるように。

・教祖が神仏より目立っていない、わずかな新興宗教では神道や仏教の正式な死後のルートに乗る。
 大⚫︎教とか阿⚫︎宗とか、あとは修験道なら大抵どこでも良い場所に行く。

・教祖や死んだ教祖らが、神仏より前に立って大きく目立っている新興宗教の大半では、死後というものが用意されていない。死は無である。
 もしくはゴミゴミとした行き場のない祈り(受け取る神仏などが居なかった祈念)の巨大ゴミ集積場的なところで他の人間と溶け合うなど、ちょっとやめた方が良い。

 その場合、厳しい修行を越えた僧侶しか居ないので、できれば真言宗へ宗旨替えをぜひ。新興宗教ではない真言宗系の近場の大きめの寺院や地域のお寺に検索して電話して宗旨替えについて聞きましょう。
 熊本付近なら霊能者としての弟子の僧侶をご紹介します。

・自分たちの墓に愛犬愛猫の遺骨を入れたりすると、先祖もろとも筆舌に尽くし難いグロテスクな事象が起こるので辞めましょう。
 万一やってしまった人は、そのようなケースは時間と労力が掛かり高いですが、私までご依頼を。気合いで何とかします。

あの世での格言やよく言われている言葉

ここに書くよりもう少し硬い書き方が実際ですが、翻訳が難しいものは普通に分かりやすく書きます。

・死んどきゃ生きたくなるから不思議よね。
 生きてる間に死んどきゃもう少し上手に生きれたのにね。

・寺にある石 話せりゃ優しい
→仏の心?というのは総じてどこにでも存在しており、愛があり、我々を受け入れる心があったのだと、死後に(石に宿る精霊と話せるようになってから)知る、のような言葉

・金を無くして真理を知る
→混沌を生者の世の中にもたらしているのはお金そのものであり、それを無くしてみた今はどうだ。人の心が、声が、思考が見えるし、友達も幾百人できるじゃあないか。やはりあんなもん(お金)は死体になった時に無くして正解だ、のような言葉

・ただの悪人より、慈しみある無知な者の方が悪
→アホが優しいと善意で迷惑を掛けてしまう。それは悪より断罪しにくく、罪とも言えず、悪い人だと吹聴したらした方が悪になる。それは陰湿な悪に違いなく、悪より悪い。

・雌鶏 鶏の子(めんどり、とりのこ)生まれはひよこ あたしゃ今からコケコッコー
→ひよこ(生者)を卒業して頭回るようになって良かったなあ新入り、のように「かわいがり」としてあの世に来たての者が先輩方に言われる言葉。
語感が良く面白おかしいが、生者の頃の様々な持ち物やしがらみを切り離せない混乱を断ち切れよという、案外深い意図が隠されているとか。

・(生者に向けて)死にたい奴は死んだら死にたくなくなるから死ぬな
→自害すると仏様の手から離れる(地獄に、相当な巨大な理由が無い限り基本的には行く)ことを、我々は死んでから知った。
 あちら(地獄)は恐ろしい。理解ができないほど痛みあるところだ。真っ先に、まっとうに死んでから我々はそれを理解した。

自害したい奴は自害する前にまっとうに生きて死んでから自害を検討するといい。どうせ100年(あちらの感性ではとても短い期間)以内には死ぬんだから、今じゃなくても良いだろう。(あの世では自害は無理。前述の法則で消えることは可能だが)

・犬猫に真理を見出す心あれ(書き方が難しいですがそんなような言葉)
→あの世じゃ、ちゃんと他人に尻尾が振れる(比喩)し、快く知りもしない人にニャーン(比喩)と話しかけられるし、いつも心が晴天だ。
暇は暇だが、(人と)じゃれたら大満足。

 そりゃそうだ、不要なこだわり?が一切ないとても素晴らしいところがここ(あの世)だからな。
 知らんかったなあ、生きてる頃の犬猫の方が、教えを知って生きていたとは。おみそれしました。

あの世についてのまとめ


・「死とは無」である、というのを仏様が救済され、「死後に場や生活や文化がある」とされたのがあの世(お浄土)である。死んだ人間の尊厳を守る、ということを行なっている。

・東京都ぐらいの広さで、平等に1人一戸の広くはない住居を与えられ、そこを拠点に生活する事になる。

・主に「人の話を聞くこと」「人と話すこと」があの世で行なうことになる。
その中で無限に幸福に過ごしていってね、という世界観である。

・ただし基本的には仏法に従うべきなので、様々な欲に関わるものは存在していない。足りない程度に無いのだと言える。

・子孫に働きかけることも可能ではある。可能ではあるが、我々が想像するような自由度ではない。

・子孫に働きかけるためには、生前に徳を積むことが必要不可欠であるのを、あの世に行ってから知ることになる。つまりは、そこでも自分の生前を後悔をしろ、今の無力に繋がっているぞ、と反省する仕組みにもなっている。

・足りない中で足るを知る世界であるが、満足度100%の優れた世界であるのは間違いない。ちなみにこれをあの世でゴリゴリの共産主義社会じゃねえかと、あまりにうるさく人を巻き込んで批判していると、1000日行に叩き込まれるだろう。

・この優れた世界に行きたいのであれば、自殺せず、人様に迷惑をそこまで酷くは掛けずに生き、亡くなる前には仏教式の葬式で、お坊さんも呼ぶようにと身内や親類縁者に言伝てをして亡くなっていくのが良い。

・これらの話は正しい話だと私は胸を張って言えるが、信憑性を考えてしまうのであれば、神気界の提供する仕事の一部にでもぜひ触れて欲しい。

・既に私の仕事に触れている方や、この内容が信じきれる方は、これが「あの世」であるとぜひ知っておいて欲しい。

以上です。

神気界について


愛知県名古屋市中村区にて、先代より引き継ぎ二代目の霊能者として占い鑑定所を開いております。
完全予約制にて、対面鑑定・電話占いによる鑑定により1日2件限定にて多くの方をご鑑定差し上げております。

一度の相談のみで結果・成果を出し解決する事を重視し、霊能者としての占い・除霊・独自の気功を行っており、また、「事実視えない力が扱える霊能者である」と誰しもが分かるような証明を全ての鑑定にて行い続けています。

お越し頂ける範囲の方の鑑定のみならず、「電話占い」により日本全国に対応しております。
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個人の方は、対面占い・電話占いともに50,000円/90分にて鑑定を行っております。
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神気界 泉 皇導<コウドウ>

 

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