霊能者視点からの「納骨の必要性」に関して

皇導です。

本日は霊能者の視点から納骨の必要性に関して記事を書き記します。
かれこれ14,500件程度鑑定を行って参りましたが、150件に1件ぐらいの割合で「納骨」をしていない事を起因として、
諸問題が起こっているケースがございます。
あり得ない対処をしている家があまりにも多いのです。



今回はその「納骨の必要性」に関してご一読頂ければと思います。



◆お骨とは
今更ながらな説明ですが、念のため。
お骨とは人が亡くなった後に仏教式で葬式を行った後、火葬を行われ、その際に骨の一部を拾って骨壷に入れ、
仏壇の前に一般的に49日以上安置する「骨壷の中身」の事を指します。



◆49日で死者は成仏するための階段を登る
霊能者的な視点で言えば、納骨は49日を過ぎた時点で即座に行われなければならない事です。
「49日に亡くなられた方に何が起こっているのか」を聞けば誰もが納得するので、その話を致しましょう。



葬式は「死者」である亡くなった方を、「成仏させる」儀式であります。
仏の定義はさておき、亡くなった方がお浄土(いわゆる天国)に至るようにする儀式がそれです。
その後、49日を経て死者は成仏をするための長い階段を登り続けます。



その間は誰の助けも得られず、誰に声も聞かず、生きている者に想いを馳せる事も許されず、
ひたすらにその階段を登り続ける他ありません。
その49日の先に、お浄土に至るための閉じた扉が一枚あります。
これは死者にはくぐる事は出来ない扉です。なぜなら、いわゆる成仏した人間が仏様の下に在る世界がお浄土だからです。



では、長い道のりの末に閉じた扉が目の前にあります。
この扉を開け放つためにはどのようにすれば良いのでしょうか。



ここが最も肝心な話ですが、「死者である証拠を無くす事」が唯一の条件です。
「死者である証拠」とは何か?それは「お骨」そのものです。



葬式という儀式で、お坊さん曰く「成仏されました」とするのに、「骨」という「死者である証拠」が残っています。
その時点で「成仏する」という儀式が実は未だ完了していないという扱いに霊的世界ではなっています。
葬式とは、実は「成仏するためのスタートを切るだけの儀式」というのが適切でしょう。



◆49日を過ぎたら即納骨を。中には5年も10年もお骨を置きっぱなしの家も…
例えばあなたが、49日間を掛けて目的地まで徒歩で歩いていたとして、
ゴールの一歩手前で足止めを食らって、ある特定の人間のせいで5年も10年もゴールテープを切れない状態が続いたらどうしますか?
私だったら早い話、ゴールテープを切らせない人間を恨みます。
年月が経てば、沸騰するぐらいには恨むかもしれません。



それと同じ状態が、数多くの家の「死者」で起こっています。
そう、1年も2年も3年も5年も10年も納骨をしなければ、お亡くなりになられた方が、
「死者」のまま延々と足止めを喰らって開かない扉の前に居続けるのです。
その場合、やはりゴールテープを切らせない人間を彼等は恨んでしまいます。身内にも関わらずです。



納骨すれば死者の証明が墓の中に隠されるため、死者の証明がどこにも存在していないので扉が開く、というだけなのですが、
扉をわざわざ半年以上も空けてあげないご家庭が多いのが実情です。
これにはそのご家庭の方なりの理由がやはりございます。



故人を偲ぶあまり、その方が形を持って手の届くところ、目の届く場所にある事実を手放せないのです。
これは心情としては誰もが理解できるものであり、一見して正しい事のように思える事ではありますが、
それこそが、故人に苦しい思いをさせてしまう行為だと知るべきと、私は多くの人に説いて参りました。


亡くなった者の骨にいつまでもしがみ付くべからず。
それが故人にとって最低最悪の行動である、という事を断言しておきます。
人は生きるに際し、必ず人の死には立ち会います。


これをよく頭に入れて人生を歩んで頂きたい。
縁起でもないですが、人間は100年以内には大体死にます。今際の際にご家族に伝えるようにして頂きたい。
それぐらい、重要なことだと知って頂きたいです。



◆お骨ペンダント・お骨ダイヤの指輪・故人の髪の毛
現代ではサービスの多様化から、人の死に関してのビジネスも広がりを見せています。
その為、お骨ペンダント・お骨から作った人工ダイヤの指輪というものを身につける方も増えてきています。
あるいは、お守り袋に故人の髪の毛や爪を入れ、意図的に残したり身につける事もあります。
これは、紛うことなき「死者の証明」に相当します。



ゆえに、そのような物が墓の内側に入っていないのは悪です。
今すぐ墓参りに行き、金属ごと、あるいはダイヤのみ、ペンダントトップのみ、お守り袋ごと、あるいは髪の毛のみ、
墓の中にえいやと入れてしまいましょう。
そして、手を合わせて謝罪を申し上げるのがよろしいでしょう。
更に、残った金属は貴金属買取にでも出してしまえばそれで問題無しです。



「お骨は納骨済みなのに扉が開かない」ケースがこれらです。
仏教的にイレギュラーなサービスが蔓延しているようですが、私はこれらを真っ向最低最悪なサービスだと否定します。


◆「未納骨」によって起こりうる霊的諸問題
ここも霊能者的なお話になります。
未納骨という「死がまっとうできていない」事が生み出す諸問題について。


その「死がまっとうできていない」事の問題は、「生がまっとうできない」という現象になって生きる者に降り掛かってきます。
死後半年以降納骨が成されていないケースでは、この「生がまっとうできない」ケースが生じます。



「生がまっとうできていない」とは何か?
全て【身内の死後半年~納骨までに】
1.生まれて来る子供が感情的に輝いていない
2.生まれて来る子供の一生の武器になる才能が限定的および半端もしくはマイナスなものになる
3.マイナス思考になりやすい
4.先祖系の守護が極めて弱くなる。ゆえに悪霊的影響を受けやすくなる。
5.負けを経験しやすくなる
6.身に災いが降りかかりやすくなる
鑑定であれば言える情報も多くなりますが、ここに書ける範囲ではこのようなところです。



◆永代供養のケース
永代供養は納骨ありきだと思います。変に遺骨ダイヤ等作ったりしていなければ何ら問題はありません。



◆そもそも墓がない、仏壇がどこにもないケース

無ければ永遠に死者のままです。最低でも永代供養、通常であれば墓・仏壇は百歩譲ってある程度小さくても良いのでこさえましょう。
いわゆる現代の宗教アレルギーかカッコイイ思っているのか何か知りませんが、仏教すら否定するような方もいらっしゃいます。
死後、必ず悪しき考えを持っていたと知る事になります(死者のまま、死した場所でひとところで動けずに永遠に固定される)ので、
悪い事は言わないので死後ぐらいは日本に1500年受け継がれてきたルールに従って下さい。
マトモな300年以上続いているような宗教が有ればそっちで依頼されるのも有りかなとは思います。


◆新興宗教に任せるケース
新興宗教はマトモなところが1割ちょっとしか無いので、私なら死後まっとうに上の世界に行きたいのであれば「やめておけ」としか言いようがありません。
私が知っている限りでは、死後マトモな所に行ける新興宗教は大●教と阿●宗ぐらいなもんです。
他はたとえ仏教や神道を仮に名乗っていたとしても、マトモな所にいけるような宗教はあまり有りません。
変な宗教に入っているのであれば、死ぬ前に改修して仏教辺りに切り替えるのが良いのではないでしょうか。高野山真言宗あたりは寛容ですよ。
ではマトモではない所とはどこか?残念ながらこの場には書けません。


◆神道の場合

神道は大昔は土葬のパターンがありました。昨今では火葬です。
葬儀二日目にお骨をお墓に移すそうなので、納骨しないみたいなパターンは(骨にしがみつく人が妨害しなければ)そう無いでしょう。
ちなみに、神道では死後、死者は精霊になってご家族を見守るようになります。
神道で亡くなると神道的なルールの先に行くようですね。が、黄泉の国とか根の国底の国とかには行かないようです。
あそこは古事記いわく大変に恐ろしい世界らしいので、神道徒の皆さん、よかったですね…


◆キリスト教の場合
キリスト教は土葬が基本ですが、日本の多くの自治体は土葬を禁じていますので、結果的に火葬になります。
それでもキリスト教の教義通りの死後に行くようです。
ここらへんはプロテスタントとカトリックで教義が違いますので何ともですが、思うような場所に行けるのであれば幸福ですね。


◆宇宙葬・海葬・想い出の地に遺灰をまく
ここらへんは、実は仏教徒であればオーケーな事になっています。
要するに、人が観測しない場所に骨が行くのであれば何でも良いようです。



ただし!日本列島であれば沖縄以外、想い出の地にも神様はいらっしゃいます。神道は死を「穢れ」として扱います。
あまり不用意に遺灰をばらまくと、神様が管轄の土地に死をばら撒いた人間としてタタリの対象になるケースも有ります。
この場合は、極めて失礼に当たりますので、これを予定している場合のみ、やめて下さい。



宇宙であればもうなんで良いです。海であれば、陸からかなり離れたところであれば問題ないかと思います。
神様からすれば、どちらも「管轄は管轄なんだけど別にあんまり関係ない土地」になるようなので、そのように認識して頂ければよろしいかと思います。
(神道的な概念でいけば宇宙にも神道の神様いらっしゃいますよ。天御中主大神という宇宙の始祖が…)


◆最後に
納骨は重要です。
その人が生きた事が報われる地が死後の世界になります。
早々にその良い世界へ送り出してあげるのが、残された者達の義務です。


多くの場合、納骨をしていない当事者でなければこの話を持ち出すのは差し出がましい話かと思いますが、
このブログの記事をプリントアウトして渡してあげれば、皆さんご理解を頂けるかと思います。
未納骨のご親戚などいらっしゃいましたら、ぜひ。


皇導