愛知県名古屋市の霊能者占い鑑定所 神気界 泉 皇導です。
今回は久々の大型記事になります。
さて、本日はまず、「過去・現在・未来」という
私たちが“当たり前”のように認識している時間の概念について
しっかりお話ししていきます。
これは日常の見方が変わるだけでなく、
霊的な世界や、私たちの生き方そのものに深く関わるテーマです。
時間の本質 ― 過去・現在・未来は本当にあるのか?
多くの人が「時間=過去・現在・未来」と、
まるで線路のように三つに分かれて存在していると考えています。
でも実は、
本当に「存在している時間」というのは、常に“現在”だけ。
“未来”も“過去”も、実体としては無い、というのが本質です。
過去って何?
過去が「存在する」って、どういうことか。
それは実は、
大きく三つの形だけで成り立っています。
1.記録としての過去
・本や日記、メモやデジタルデータなど、
何かしらの“情報”として残されているもの。
2.記憶としての過去
・自分の頭の中に「そうだった」と覚えているもの。
3.現在にあるものの“原因”としての過去
・例)テーブルの上に空のペットボトルがあるなら
「製造した」「買った」「飲んだ」「捨てなかった」など
今そこに存在している理由としての過去。
この三つにおいては、確かに「過去」は“ある”といえばある。
けれど、
タイムスリップできるような実体や場所として「過去」が存在しているわけではありません。
つまり、「すでに消えてしまった現在」――
“記録”や“記憶”や“原因”としてだけあるものが「過去」であって、
本質的には「無い」に等しいのです。
未来は存在しているのか?
「未来」は、どうでしょう?
これも実は、
今この瞬間がただ連続していく“だけ”であり、
私たちがイメージするような「未来」という地点は存在していません。
“未来”も“過去”と同じく、
地図のようにどこかに用意されているものではなく、
「現在」の積み重ね・連続にすぎないのです。
いわゆる「未来視」は妄想なのか?
予測はなぜ重要なのか?
この視点から考えると、
「未来視」――いわゆる“未来を見通す”というのは、
基本的には妄想に近いものだと言えます。
ですが、人間社会でも霊的な世界でも、
「未来を予測する」こと自体はとても重要です。
「予測」はあくまで“予測”でしかありませんが、
神仏のような存在は「超予測」とも言えるほど精度の高い予測を行います。
つまり、
“本当に未来が存在しているわけではないけど、
限りなく近いところまで予測できる”――
それが現実です。
神仏の「未来予測」と2%の例外
神仏の未来予測は、だいたい「98%の正答率」と言われます。
ただし、必ず「2%の外れる要素」が存在します。
例えば――
・個人の場合
→癇癪や怒り、酒・自暴自棄・その日のホルモンバランス、
うつや希死念慮、無気力、突然の覚醒(?)と気合と根性とノリと勢い
めしが喉に詰まる、人体の気分でたまたま血管が詰まる
確率的事象での事故、感染症と重度症状、0.002%以下に起こる事象の放置
・社会・組織の場合
→中心人物が上記のような理由で“予測から外れた行動”をとる場合。
もし予測が外れた時は、
「そんなこともあるよ」「なんくるないさー」「ケセラセラ」など、
どの文化圏でも“まあしょうがない”というニュアンスで済まされます。
残念に思うケースも多々あるかと思いますが、それらが外れる可能性があることもまま、「予定調和のうち」といったところです。
未来を言い当てる人の正体は?
「未来を当てる霊能者・預言者」と呼ばれる人たちは、
実は以下の5パターンしかいません。
1.霊的存在が「未来の超予測」を教えている(私のほか日本に20人程度?)
2.霊的存在が「未来の予定」を教えている(基本的には実在していない。消費するポイント(※後述)が人間が支払えるようなものではないため不可能。)
3.その人がウソで「未来」を語っている
4.その人が本気で思い込んで「未来」を語っている
→占い師。ただし本当に「予測の予測の予測」ができていないわけではないケースもある
5.トリックや演出で「未来が分かるように見せかけている」
本当に神仏が未来を伝える場合も、
「未来を知る」という行為自体が“身に余る幸運”なので、
莫大な「徳」(ポイント)が必要です。
ただし回避的な表現を使うことで、1・2の場合は「かなりあやふやで、明確ではないがただ合っている」というパターンと、「8割ウソだが2割合っていて、ウソである意味がまったく無いし参考にもなっている」といった伝え方をして、ポイントの発生を回避することがある。
また、「70%程度の可能性の話」という言い回しであればポイントの消費はゼロに近い。
世界線とパラレルワールドについて
世界線(パラレルワールド)の存在も実は本当です。
常時20万~400万ほどの「可能性の分岐した世界(パラレルワールド)」が
発生・消滅を繰り返しています。
ただし、
私たちが今いる世界線は「正中=ど真ん中」(の1個となり)で、消えることはありません。
たまに「パラレルワールドに迷い込んだ」という人がネット上に居ますが、嘘ではないケースもあるはあるでしょう。
見分け方は、「知らない言語だった」という内容があれば、それは多分本物、もしくは3~4割のケースで実際のパラレルワールドの話かと思います。
最も近いパラレルワールドでも、言語は英語も日本語もフランス語もスペイン語もイタリア語もタガログ語もスワヒリ語も存在していないのです。
これらは事実、というよりオカルト寄りな話ですが、気になるかたは調べてみるのも良いかもしれません。
時間とは「現在」の連続でしかない
ここまでお話しした通り、
時間というものは「今」の連続でしかありません。
「戻れる過去」も、「確定した未来」も存在しません。
100%の未来を知ることも不可能ですし、
「絶対の未来像」というのは幻想にすぎません。
また、私たちの行動も全て予測・予定されているのか?というと、それも「NO」になります。
「社会や全体に影響があるピンポイントの部分」=就職先や進学先、起業、雇用、転職、結婚、転勤、引っ越し、資格取得、友人以上の縁などは予測・予定されていることも多くあります。
ただそれ以外は「些事」として「個人の判断と裁量でどうぞ」という項目として神仏はノータッチです。
また、個人の努力次第では予測や予定が上方修正される場合もあるため、それはそれで「良い2%」を我々が作り出すこともできるというものになります。
だからこそ、
大事なのは「今」をどう生きるか。
「今」の積み重ねこそが、私たち自身の“未来”を形づくるのだと言えます。
神社仏閣の参拝によって「超予測」を受け、「予定」を授かり、「心」を得る
この流れで最も話すべきことは、「神社仏閣への参拝の意味」についてかと思います。
神社参拝で約3割~4割の参拝者(神様の気分による)が受けるのは、以下の流れになります。
1.どこの誰か見る。
2.何をしていてどういった環境や人、仕事などに取り巻かれている、どういった機能の人間かを見る
3.現在その人間にある、超予測と予定の情報を閲覧する
4.”面倒ではなかったら”気分と発想次第で「予定」の情報を書き換える
5.書き換えたことを(データセンター的なところ?に)報告して、超予測の部分の書き換え結果を閲覧する
6.問題がなければ仕事を完了する。問題があれば違う形式に「予定」の情報を書き換える。
7.その人間に、暇があれば見てやらんこともない用の栞(しおり・ブックマーク)を付けておく
8.楽しみに実際の変化の時を待つ
神社参拝で人が受ける流れについて
そもそも、神社神道の神様には義務らしき義務がないので、働こうが働かなかろうが、人を「つまらん」とスルーしようが、願いを叶えなかろうが神様の勝手です。
これは、平安貴族に義務がなく遊興だけして過ごしていたのとそんなに変わらない理由です。「尊いから、そんなのは当たり前」です。
皆さんが仮に王様らしき椅子に腰掛けて王様らしく周囲に扱わて王様らしき食事を食べて王様らしきベッドで寝て起きて王様らしき服を着て過ごしていたら、「100人中100人に一生懸命に働いてあげなくなる」のと同一の理由です。「興味がないんでやりません」「尊いんでやる義務ありません」が全然あります。
(だから、少しでも興味・関心をお持ちいただくためにも日本酒と御祈祷を私はお勧めしているのですが)
さて、この流れについてですが、実際にその「お導き」が実在しているのだな、と見て取れると思います。
だからこそ、神社参拝は行なうべきことなのです。
また、こういったありがたいお導きを受けているからこそ、感謝をもって再度参拝すべきだとも言えます。
また、ご期待に沿うように、日々の行なうべきことへの努力を重ねるべきとも言えます。
仏閣への参拝で100%の人間が受けるのは、以下の流れになります。
※多くの新興宗教の信徒や完全な神道徒やキリスト教徒などでなければ
1.どこの誰か見る。
2.何をしていてどういった環境やヒト、仕事などに取り巻かれている、どういった機能の人間かを見る
3.心の完成部分と未完成な部分を知る。見る。理解をする。
4.「理性の目指すもの」を書き換える。「感性の求めるもの」を書き換える。
「心の空白の所在」を作り、成長の誘導を促す。
※心の空白の所在:ヒトは無いものを埋めたがる。埋めるための行動を作る。
5.メシ食ってるか、歯を見せて笑ってるか、他人を否定して腐っていないか、などの基本的な人間としての質を見る
6.そこに問題があれば、それを解決するように助けていく。
7.ここから、神道の神の超予測や予定も閲覧する。
8.そこに問題がありそうな負の要素を消すようにつとめる
9.慈しみをもって他者を助けなさい、という命令を無意識下に与える
10.これから過ごす道の幸多からんことを願う
→形式的なもの?そういうものらしい。願う、のニュアンスが難しいが、人に「Good Luck」と声掛けをするようなものに近いらしい。
仏閣への参拝で人が受ける流れについて
神道の神様と、行なわれていることが全く違うことに驚かれるかと思います。
基本的には、私は一貫してことあるごとに説明をしていますが、「仏教の仏様が人に求めるもの」は、「人間性の完成」にあたります。
仏様の理想は「”完成した人間”が人を完成させるように手助けをすること」にあります。
さらなる究極の理想は「(お釈迦様以降1人も居ませんが)新たに人一人、個人が悟りを開くこと」にあると言えます。
書き方的に、慈悲深さと愛と配慮と、こう、人への寄り添いをすごく感じるお導きをされておられて、本当に嬉しく、参拝を仏閣にもたくさんしなくちゃ!となるかと思いますし、実際にそうすべきだと私も思うのですが、
ある一定の心理的な苦悩や、物事を思考するうえでの「難しさ」を与えてくるのもまた仏様の姿だとも言えます。
心の完成を促す、というのは素晴らしいことですが、苦悩なくして完成はありません。
また、9000個ぐらいの迷いに打ち勝って乗り越えて「理解」を勝ち取って、「心を完成させた」という人間が、人を助けるべき、というのが実際です。
なので、1回の参拝で5個か20個ぐらいは「迷い」を与えてこられるかと思いますので、それはそれで、ありがたいとも感じるべきですし、悩まない自己の完成に近づくとも言えますし、あるいは短絡的には「思考が辛くなるなら、うーん」とも言えます。
しかし神社仏閣には参拝すべきである
よって結局、神社に参拝すれば神様の個性で無視されるかもしれないし適当に扱われるかもしれないし、仏閣に参拝すれば心の迷いが増えたり晴れたり色々だったりするわけです。
ただこの、
“神社仏閣の参拝によって「超予測」を受け、「予定」を授かり、「心」を得る”ということが、「導きを受け、心を得て、正しい人間として良い方向性に行く」という唯一の手段だとも言えます。
哲学や思想、学習や自己啓発、コーチングやカウンセリングなどでは得られない、真の「お導き」や「道の開け方」や「人間的成長」がそこにはあるかと思います。
まとめ
以上のまとめです。
私たちが認識する「時間」は、実際には『現在』の連続としてしか存在していません。
「過去」は、記録・記憶・現在にあるものの原因という形でのみ存在しており、本質的には『消えた現在』です。
「未来」は、明確にどこかに存在しているものではなく、『現在』が連続する中で私たちが通過することになる一つの地点にすぎません。
そのため、いわゆる「未来視」は基本的には妄想に近く、正確には「予測」として理解されるべきものです。
神仏は「超予測」と呼ぶべき非常に高い精度で未来の予測を行っていますが、それでも98%程度の正答率であり、2%は必ず外れる可能性があります。個人や社会において、偶発的な感情や出来事がその理由です。
これは「確定した未来など存在しない」ということが理由です。
また、「未来を当てる」という人々の真実は5つのパターンしかありません。
神仏から明確な未来を知らされるには多大な「徳」(ポイント)が必要となるため、実際には曖昧な伝え方や回避的表現が使われます。
ただそのレベルで仕事ができるプロはほぼ居ないと言えます。
さらには、「占い」は予測の予測みたいなところで、フラットに見ても完全に嘘っぱちなものではありません。方法論は様々ですが、実際には「神仏の予定や予測をやや予測できている」というものが「占い」であるのだと言えます。
(なので極めれば、正答率は50%を越えて上げられます)
そして、「世界線」と呼ばれるパラレルワールドの存在も実は本当で、数多くの可能性の世界が常に発生・消滅を繰り返しています。ただし、私たちがいる世界線は特別であり、消えることはありません。
一方、私たちの人生において、すべてが神仏の予測や予定で決まっているわけではありません。社会的に重要なポイント(就職、結婚など)は予測されることもありますが、多くのことは個人の努力や裁量によって変更可能であり、より良い未来を自ら作ることもできます。
また、こうした中で特に重要なのが、「神社仏閣への参拝」です。
神社への参拝では、神々はその人の情報を見て、必要に応じて未来の「予定」を書き換えるなどして、人の人生を導いてくれることがあります。ただし、神々には義務はなく、その対応はあくまで神々の気分次第です。
仏閣への参拝では、仏様は人間の心の未完成な部分を理解し、良い意味での「心の空白」を作り、成長を促します。また、人間の基本的な質を改善し、人間性を完成させるためのサポートをしてくれます。(身内や己の人間性が未熟だと思う場合は、特にガンガン参拝させたほうがよろしいかと思います。嫁旦那がヒステリー、子供がゲームばかりして頭が悪い、引きこもっている、など。)
ただし、そのためには苦悩や迷いを与え、乗り越えることを求める場合も多々あります。
しかし、このような神社仏閣への参拝を通じて、「予定」を授かり、「心」を得ることこそが、私たち人間にとって最も本質的かつ効果的かつ効率的かつ正しい人生の歩み方であり、自己の成長や幸運を掴む最高・最善の道なのだと言えます。
自己啓発や哲学、思想、カウンセリングなどでも得られない真の「導き」や「人生の方向性」は、神仏との関わりの中にこそあるのです。
だからこそ、「今」を大切に生き、感謝と謙虚さを持って神社仏閣に参拝することで、私たちは本当の意味で「良い人生」を築いていくことができます。
神気界について
愛知県名古屋市中村区にて、先代より引き継ぎ二代目の霊能者として占い鑑定所を開いております。
完全予約制にて、対面鑑定・電話占いによる鑑定により1日2件限定にて多くの方をご鑑定差し上げております。
一度の相談のみで結果・成果を出し解決する事を重視し、霊能者としての占い・除霊・独自の気功を行っており、また、「事実視えない力が扱える霊能者である」と誰しもが分かるような証明を全ての鑑定にて行い続けています。
お越し頂ける範囲の方の鑑定のみならず、「電話占い」により日本全国に対応しております。
お悩みの有る方や迷いのある方は、ぜひ一度ご依頼を下さい。
個人の方は、対面占い・電話占いともに50,000円/90分にて鑑定を行っております。
皆さまからのご依頼を心よりお待ち申し上げております。
神気界 泉 皇導<コウドウ>